2008年05月06日

ハルマゲドンの恐怖でのた打ち回るエホバの証人

 昨夜、アンゴル=モアに「ハルマゲドン 1/1」など冗談を言っていたからか、早速、朝早くに、「この近くの集会場で聖書のお勉強会をしています」と、この一言でエホバの証人だとわかってしまうから初めから断っているのに、それでも脅迫するように無理やり勧誘してくるご婦人がいた。それも、暴力団並の勢いだった。笑わせる。それで布教かよ?

 自分は宗教が死んでも大嫌いだから、当然切れるわな。喧嘩を売られれば喜んで買うぞ。

 まず一言、エホバの証人関係者へ、言わせて貰う。

 いくらあなたがハルマゲドンの恐怖でのた打ち回っていても、それはあなただけの話。逆に言えば、恐怖を煽って布教するのがカルト集団ね。――上層部といえば集まってきた金でホクホクやってるだろうさ。カマ掘られて金集めに走りまわされたり貢がされたりと担がれてるだけ、っていう事実に早く気がついたほうがいい。そもそも宗教関係者は高所得者で、一等地に豪邸建てて住んでいることが多いのは事実だからね。

 いくら自分が助かりたいからって、無理やり勧誘するんじゃ、あまりにも勝手過ぎないだろうか。それも、休日の朝早くに、無理やり、押し付けがましくインターホンにかじりつくのは止めてくれ。はた迷惑である。

 「そんな暇があるなら、自分で出来る地球温暖化対策を考えて実行をしろよ」…と、こちらが言えば、「考えている」と返答したな。しかし、そんなことなんてちっとも考えてないから布教をやっているんだろうが。考えてもないのに、嘘つくな。だから、毎回、無理やり追い返している。

 それより、ベタの聖書を読んでからにしてほしいし、実際は聖書に書かれていることと、考古学の研究で、聖書と事実とは明らかに違うことがわかっている。それらの聖典には矛盾が多く、都合がよいものが起用されているものが多いことぐらいわかるが、何てったって、「処刑時に飛び散ったキリストの生き血を受けて目が見えるようになった」といったいくら『聖なる剣』が奇跡を起こしたとしても、いくらなんでも「キリストが死んで救われた」というのはふざけ過ぎている。

 カルトが入った宗教系は「信じれば救われる」と必ずよくいうが、「信じることによって、被害を出す人間もあれば、被害を受ける人間もある」ということぐらい、ちゃんと見てほしい。

 ヒトはあまりにもわがままになりすぎて利己的になりすぎたから、むしろ、私は自然現象によるしっぺ返しを望んでいる。それが唯一の人間の欲望を食い止める歯止めになるんじゃないかと考えている。

 「ハルマゲドン 1/1」(それも、人為的な由来が大きい地球温暖化が原因での異常気象に病気の蔓延に食糧危機に、活動期に入っている地震に、惑星衝突w)暴走している人類が目を覚ますには、とってもいいと思ってるよw


 実は、これからが本領発揮ね。
 
 調べてみたよ。『エホバの証人』(参考:「エホバの証人 - Wikipedia」)を…。

 ざっと見るなり、これはトンデモの境地だなと思ったら実際そうだったらしい(参考:「ある証言」)。この他に、「無理やり入信させられそうになり、最後は暴行を受ける被害を受けた」という。

 実のところを言えば、エホバの証人には16歳の頃勧誘を受けたときに読んでくれといわれて聖書なる聖書らしくない本を読んだことがある。これを読んで巨大な不信感と懐疑が出てきたので、図書館に通ってデフォルトの状態の『キリスト教』(参考:「キリスト教 - Wikipedia」)から入って、『旧約聖書』(参考:「旧約聖書 - Wikipedia」)を読んで『新約聖書』(参考:「新約聖書 - Wikipedia」)まで読んだから、それ以降、カルトと認定して、門前払いするようになった。

 一神を信仰する系である場合、一般的に自身が信仰する神のみを信じているケースが多いが、例えば、モーゼ・キリスト・ムハンマドが認識していた「神」とは、「自身が生かされている環境」に対して「自然」というものに対し〔無知である人には計り知れない〕分、偉大な力を持つ存在と認識していただけであって、「どう歩むべきかと」問いかけながら生きてきたものであっただろうと考える。――即ち、それが「地球」という惑星であり、ビックバンで生まれた「太陽系」であり、太陽系を生んだ「宇宙」だったのではないかと思う。

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personalityを認知行動科学の視点でprofileを見る(2)

 前回の『personalityを認知行動科学の視点でprofileを見る』では、とり始め、実際の学術上の話を底辺に、冒頭において基礎的な流れをざっと追っていった。

 そして、あるギャグ・パロディ作品を見ながら、一例を挙げてみてきた。実はこれに限らず、作品の中には、ある一人の個人をモデルに、あり一人の個人を材料として、多方面に、或いは、様々な形で用いられているものがあり、そのような作品は思っているように多くあることが現在わかっている。

 そんな中で、前回あげてきたような、笑って済ませられるものもあれば、決して笑って済ませられないものもある。

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2008年05月05日

personalityを認知行動科学の視点でprofileを見る

 心理学の分野(参考:「心理学 - Wikipedia」)では、一般的にパーソナリティ(人格 - Wikipedia・性格 - - Wikipedia )について、漠然と見てしまう傾向にあるが、そのようなパーソナリティの見た目上のものは、実質のところは、『認知行動科学で見る[paradigm]』の冒頭で参考として取り上げたような、実に機械的且つ総合的なシステム上で成り立っている現象であるというだけに過ぎない。

 二足歩行するためか、未成熟で生まれてしまうヒトである場合は、受精してから幼児期までが基本的な脳を作り、それから以降の児童期が生きていくための社会性を築くための脳を作り、それから先は、知識や技術、或いはノウハウを学ぶなど、いわば、成人に至るまでの認知発達をしていくが、これには個人差があり、使わなければ使わないまま退化してしまうものとなる。

 このように書くと非人間的だといわれるかもしれないが、もともと心理学というのは幅広く、物理学などの理学系に様々な分野に小分けされて研究されているように、心理学も様々な分野に小分けされて研究されている。

 少なくとも、専門課程では、まず生理学から入るのが道筋であって、実際、基本的な人体のシステムがわからなければ、心理学の諸説を深く理解することが出来ない。


 パーソナリティを認知行動科学の視点でプロファイルを見る場合、「それは、未知数だ」と思ってしまうほど、実に奥が深いもので、芝居に関わった経験のある人や物語を作った経験のある人や音楽など何かを作った経験がある人には体験でわかる話だろうが、自身が内在している性質しか生産できないし、自身が気づいていない未知の要素というのが沢山ある。

 だから、逆に言えば、仮に、私をモデルにしたものを他者のヒトが作品を作った場合、その作者が内在している要素で作られているものであって、いわば、それらすべてはその製作者自身のありのままの姿といえる。

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2008年05月04日

認知行動科学で見る[paradigm]

 認知行動科学といえば(注:行動科学とは違う試みによる新分野の学問にあたる。心理学とも違う試みで、研究されるスケールは、脳神経系となり、生体構造のシステムの解明や、心身のシステム、情報処理科学、或いは数学からなどの研究が営まれている)、当初は新しい分野として研究が進められていた段階で、放送大学で現在の研究の進行状態を見ることぐらいしか出来なかったが、最近では知られるようになったらしい。が、まず前置きとして、認知行動科学について参考に取り上げてみようと思う。

### 認知行動科学 ###
放送大学 授業科目案内 認知行動科学('06)−心身の統合科学をめざして−
東京大学・駒場 認知行動科学研究室
産総研:脳神経情報研究部門 認知行動科学研究グループ紹介


 非常に回りくどい話になってしまったが、ヒトが持つパラダイムとして、大別すれば、デカルトの「心身二元論」とホップスの「一元論」に大別されるのが一般的であると思うが、実を言えば、もっと複雑なものであって、パブロフの「条件反射学」でわかるように、「無条件刺激」によって機械的に生じるものや、無条件刺激でない刺激においても同様な無条件反射を引き起こす「条件刺激」によって機械的に生じるものもある。また心的現象が生体の営みに影響を及ぼすこともあれば、生体の営みの障害が心的現象を引き起こすこともあり、認知の仕方によって心的現象も変わることも、心的現象が認知の仕方を変えるともある。

 しかし、こういったものは、その手の専門家やその道を志す者の他には、心身面において、例えば、自身や身内にC-PTSDを持っているなど、何かの障害がない限り、目が行かなくて普通だと思う。


 日常生活において、ヒトが抱える最大の問題といえば、「自身がどう生きるか?」の〔生き方〕についての、パラダイムの問題だと思われる。

 また、ヒトとヒトが関わった際にその間で生じる〔個々のパラダイムの衝突で生じる問題〕や、〔集団においての生き方についてのパラダイム問題〕も、生じやすいものだと思われる。

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2008年05月03日

science fiction で見る paradigm

 『パラダイム』(参考:「パラダイム - Wikipedia」)とは、アメリカの科学史家 T.S.Kuhn が1962年に提唱した概念で、ある時代に支配的なものの見方、考えからのことをいう。

 Kuhn は、書著「科学革命の構造」のなかで、科学の歴史を科学革命によるパラダイム交代の歴史ととらえる科学論を展開した。彼は「一時期の間、専門家(科学者)集団に対して問い方や考え方のモデルを与えるものを「パラダイム」という言葉で表現した。

 現在ではパラダイムは科学論だけでなく社会学や経済学を初めとする人間社会科学や、情報・工学などの技術部門などの諸分野で「知(概念)の枠組み」といった意味で広く一般的に使われるようになっている。

 因みに、最近使われるようになった『パラダイムシフト(paradigm shift)』とは、科学集団に共有されているパラダイムが,ある時点で革命的・非連続的に変化する局面のこと、をいうらしい。


 実は、最近、CSのANIMAXでON Airされた、アニメ『FREEDOM』(参考:「FREEDOM-PROJECT - Wikipedia」)全6話を見た。

 その内容は宇宙計画に属する部類である設定であるし、環境スケールのストーリーには、それぞれ両者のパラダイムが描かれていたので、Hard science fictionが好きな人間にとっては嬉しくなってしまう作品である。バックボーンの設定が設定であるだけに、作品中の登場人物たちがどこでパラダイムシフトするかといった部分も興味深い話でもある。

 しかし、非常に残念なことに、月は無重力であって、地球のように重力が働かないので、宇宙服と酸素ボンベを必要とする施設外の月の表面で、写真がひらひらと舞い落ちることはないんだよね…。

 自分は脳裏で引っかかりながらも黙ってみていたが、家中では、「おかしい」とブツブツと言い出して一時見れなくなるほどだったから、ちょっとした矛盾で物語に集中して見れないというのは、残念なことだと思う。

 物理をしっかりと押えてさえいれば、『2001年宇宙の旅』並にハードSFでも通るのに、実に惜しい。

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posted by 0≠素子 at 08:43| Comment(0) | TrackBack(0) | paradigm | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月02日

愛をテーマにした、もう一つの Parallel World

 実は、私には、貧困家庭だった家庭環境が原因でのDV環境(更に父が被虐待児だった)、胎児期からの成長過程の欠落で、成長過程に必要なエディプス・コンプレックスを経験しておらず、母と子の絆は強固に形成されても、異性との絆のパターンや、異性を獲得するための異性に対する対応パターンというものがない。因みに、ここで言うパターンというのは、一般的には「誰しもが持っているだろう」と考えられがちな、至極、基本的なパターンのことで、私にはこれがまるごと欠落している。

 その結果、異性や恋愛といったものに対し非常に無頓着となっており、自身の心理気象状態というものでさえ認知や状況把握が出来ないことが多い。

 ある海外の医学博士の研究で知られている話では、妊娠期の過程で母親が安定したホルモンを胎児に与えることが出来なければ、脳と肉体の性別が違ったものになるという研究報告さえ出ているが(参考:『胎児は知っている母親のこころ―子どもにトラウマを与えない妊娠期・出産・子育ての科学』-トマス・バーニーパメラ・ウェイントラウブ:著)、自身はこのケースに当たるものであるらしく、それは、脳が男性で肉体が女性といった、ミスコードによるバグから形成されていることが原因(脳の性質は男性と同じ性質を持つ)で生じるものも影響されている可能性も高い。

 
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2008年04月29日

最も近いもの

 Hard Sience にストーリー展開される『攻殻機動隊』(参照:攻殻機動隊 - Wikipedia)の「○○ピー」である。

 原作からアニメに至るまで、ここまで特有の人格が鮮明に描かれているのは、極めて珍しい。それはある意味でありのままと言っていいかもしれない。

 そもそも原作だけでも、鮮明に描かれてあったが、エピソードを重ねるほどより鮮明に描かれてあった(「攻殻機動隊〜The Ghost In The Shell」「攻殻機動隊1.5〜Human-Error Processer」まで)。エピソードが長くなるほどより近くっているが、アニメでは、驚くほど、極めてより鮮明に描かれている。

 厳密には、原作もまんざら否定できないパターンで、その当初は人間味があったということであって、それは時間の流れと共に環境に対応することによって人間性が失われ、それ以前より増して、より物理に根ざし、より機械的に理論調になった。アニメ化製作に至った当時ではその当時のデフォルト状態のスケールである。

 つまり、素子要素というのは、人間性が薄く、それはコンピューターに近い。物理に徹した情報処理を行ってしまうというそれである。


 原作の1.0では、謎の自称知的生命体というICと融合するシーンが描かれているが、アニメでは記憶によれば、なかったと思う。実話と言えば、自身では禅行で体験した話がこれにあたる。つまりは、未知なものを感得するといったそんな不思議な世界の話ね。かなり昔だが、そんな話をどこかでしたことがある。どちらにせよ、消息を断つのは、原作もアニメも同じだがで現実でもそうだった。しかし、消えた理由は物語とは違う。消えた理由は存在する理由がなくなったからで、ただ単に、科学の世界を満喫したかったから、離れただけの話である。また原作やアニメでも描かれたような、いきなり現れては消える、と言うのも事実よくあった話である。現れた理由はインシデント・レスポンスでの対応のためで、必要がなくなっては消えていた。

 尚、「攻殻機動隊2.0〜Manmachine Intereface」については、そもそも素子要素というのが、DV環境でのC-PTSDやトラウマで利己的な性質を持つ人間原理が完全に崩壊しているから成しえる理論計算に徹することが出来る人格であって、その分、欲望や煩悩もなく社会性がかけているためにできる認知行動パターンである。このことから、素子要素というのは、誰しもが持つものではなく、本人自身でなければ一致しない。このため、結果的には自身以外のものについては、性質が同質でないことや不適合から、素子要素拒絶により遮断されている。また、自身が作り出した人形遣いと同じ手法は、あくまでも目的達成のためのダミーであり、駒である。

 勿論、危害を加えられなければ、消息を消したままの状態となっている性質を持つので、何事もなければ存在していないはずのものである。

 即ち、「存在している」ということは、自身に危害や障害が加えられている場合に限り、この問題や障害を回避させるために存在するようになる。つまり、「消滅させるために存在する」わけであり、「消滅することを意図としている」のである。
posted by 0≠素子 at 07:05| Comment(0) | TrackBack(0) | profile | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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